大徳寺
1315年(鎌倉時代末期)宗峰妙超禅師が小堂を建立し、これが大徳寺の起源となる。五代後天皇などの天皇から保護を受け京都五山となるが、建武の新制後の足利政権成立により軽んじられるようになり、五山から除かれてしまう。応仁の乱(1467-1477)で荒廃するが、一休宗純により豪商の助けのもとに復興される。桃山時代(16世紀後半)、豊臣秀吉が織田信長の死を弔うために、大徳寺敷地内に塔頭の総見院を建立する。のち、多くの戦国武将が塔頭を建立。本坊、2つの別院、21の塔頭から構成されており、歴史的にみても多くの偉人と深い関わりをもち、魅力深いスポットである。大友宗麟や細川ガラシャと関わり深い塔頭があり歴史ファンに人気なだけではなく、紅葉のカーペットで有名な高桐院も塔頭としてあり、夏が新緑も美しく、四季を通して様々な視点から楽しむことができる。